Nissan Heritage Car Collection
    SHORT STORY


「たま」と電気自動車

戦後、航空機からの平和産業への転換をめざしていた立川飛行機(後のたま自動車)は、極端に不足していたガソリン事情を背景に、それまでの技術を活かして電気自動車の開発を始めました。
昭和22年(1947)、独自設計のボディを持つトラック(2人乗り・500kg積み、4.5馬力モーター)の試作に成功、工場の地名にちなんで「たま」と命名しました。最高速度は34km/hでした。続いて乗用車第1号車(4人乗り・2ドア)も完成。こちらは、最高速度35km/h、1充電走行距離65km。昭和23年(1948)3月の商工省主催第1回電気自動車性能試験では、バッテリーケースなど、航空機メーカー出身ならではのアイデアを随所に盛り込んだ「たま号」が大差で第1位となりました。
なお、「たま号」には乗用車と貨物車があり、ともにガソリンと電気の2タイプがありました。立川飛行機は、昭和23年(1948)6月に社名を東京電気自動車と変え、新たな一歩を踏み出し、たまジュニア('48年:小型乗用車)、たまセニア(49 年:中型乗用車)を生み出しながら、たま電気自動車、たま自動車を経て、昭和27年(1952)にプリンス自動車工業となりました。




たま電気自動車のバッテリー部。バッテリーは2つに分けてフロア両側に収納します。ケースにはローラーが付いていて、充電済のバッテリーケースと素早く交換できるよう工夫されていました。こうしたアイデアが功を奏し、商工省の性能試験では第1位に輝きました


プリンスの歴史

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